37話)





 言葉でそんな事言っても、未来のない二人の関係だった。
 歩は、真理が家にほとんどいない事をさり気なく指摘してきて、
「仕事だろう?」
 と軽く聞いてきた。
 河田茉莉としての生活は、仕事ののようにも思っていたので、自然に
「そう、たいして忙しい訳じゃないけれど、長時間いなきゃならない仕事なの。」
 と答えると、彼はクスクス笑って、
「そんな仕事辞めちまえ。」
 なんて言葉が飛び出してきて、びっくりした。
「やめて俺の所においでよ。」
 言った言葉が、さらに真理の頭を混乱させる。
 顔を上げて歩を見上げると、彼の瞳は真剣だ。
 真理は動揺した。辞めることなんて出来るわけがなかった。
(私は、あなたの元にいるのよ。)
 視線を泳がせる真理の様子に、吐息をついて、
「無理だよな。・・分かってるよ。それくらいは・・・。」
 つぶやく言葉が、また意味不明だった。


 一方、河田邸でくらす茉莉に対する態度は相変わらずだったのだ。
 目も合わさないし、必要最低限な用件でさえ、執事やメイド達に伝えてくる始末。
 そんな中、メイド達が雑談している会話が耳にはいった。
 彼女達は、歩の話をしていた
「最近、歩さんからお声がかからないんだけれど、あなたはどう?」
「そういえば、私だってそうかしら・・。」
「私は、ほとんどお召しがなかったから、分かんない。」
「外に、女の人が出来たのかしら・・。」
「実はさあ。私見ちゃったのよ。」
「何を?」
「歩さんと、“冴えない女”が仲よく喋っている所。」
「どこで!!」
 彼女達の声がハモる。
「私の家の近所の居酒屋。彼氏が行きつけにしてるもんだから、私もよく行くのよ。
 そこで部下と話す歩さんの姿をたまには見たことはあったんだけれど、女の人を連れてきたのは、初めて見た・・。」
「冴えない女ってどんな女なのよ。」
「奥様と、正反対ってな感じの女だったわよ。・・・その人を見る歩さんの瞳がさあ・・。」
「なになに・・」
 興味津々ってな感じの彼女達の声。
「私が見たことのないくらいに、とろけそうなくらいな顔をしてたんだから。」
「へぇー!」
「道理で、私達には声がかからない訳なんだ。」
「一人で満足できんだね。あの人・・。」
「その女が本命だからなんじゃないの?」
「意外意外。」
「鬼畜じゃなかったんだあ・・。」
「・・・でも奥様かわいそ〜。」
「あんなに綺麗なのにね〜。」
「一回も抱かれた事ないのに、みんなから妊娠を期待されてんでしょ?」
「でも処女妊娠って、ありえない話だよね〜。」
「私だったら、生きてゆけな〜い。」


 それを聞いて、茉莉はフルフル体を震わせていた。怒りのあまりに、思わず彼女達の中に入っていって、
「勝手な事言ってんじゃないわよ!」
 と、怒鳴り散らしらしそうになった。
 けれど河田茉莉には出来ない行動だった。せいぜい出来る事と言えば、
「野口さん・・・。」
 と呼んで、
「私の部屋に、お茶を持ってきて頂戴。それと、昼からおこしになる澤田社長の奥様。蘭の花がお好きだったはずだから・・。
 急遽玄関の生け花を、交換しておくように執事に連絡しておいて。」
 と、彼女達が無駄な会話ができないように、どうでもいい用事を言いつけるくらいの事しかできないのだった。
 いきなり廊下越しに用事を言いつけられたものだから、目を白黒させた彼女達だったが、頭を下げて
「かしこまりました。」
 メイドの顔になって、彼女達は頭を下げて去ってゆく。
「ちょっと、今の話。聞かれてたぁ〜」
「ヤバいんじゃないの?」
 階段を下りてゆく足音と共に、コソコソ話している内容だって、聞こえているのに、気付いているのか、いないのか。
 どちらにしても、一度として夫に愛されず、子供さえ孕む気配の見えない次期当主の妻の立場ほど、かすんだものはない。
 ガックリ肩を落としてため息をつく。
 部屋に戻って、ベットの上に横になって、しばらくぼんやりしていると、悔しい事に、さっき彼女達が言った言葉がイヤでも思い出されてしまう。
「・・・でも奥様かわいそ〜。」
「一回も抱かれた事ないのに、みんなから妊娠を期待されてんでしょ?」
「でも処女妊娠って、ありえない話だよね〜。」
「私だったら、生きてゆけな〜い。」
(あんな事言われてまで、この家にいなければいけないなんて・・。
 もう・・イヤだ・・出てゆきたい・・。)
 何度思ったとしても、河田の義理の父は今や、河田グループの会長をしている傍ら、参議院の議員をしていた。
 高野の父が所属する派閥に入っていたのだ。
 高野の家の一族も河田の家の援助を受けて、新しい事業を始めている者だっていた。
 茉莉が家を出て行くと、やはり両家の繋がりがややこしいものになってしまうだろう。
「元々、両家の結婚は、政略的なものだったのだから・・仕方がないじゃない。
 だからこそ、私はあんな苦労してまで、教育してもらったのだから・・。」
 言った言葉が虚しく響く。
 河田茉莉としての生活レベルは女性として、一度は憧れるくらいの贅沢なものかも知れなかった。
 なのに、すきま風が吹きすさぶ茉莉の私生活は、冷たく閉ざされてしまっていた。
 そこでふいに思い出す。
『その女が本命なんだ。』と言った彼女達の言葉を・・。
『・・・部下と話す歩さんの姿をたまには見たことはあったんだけれど、女の人を連れてきたのは、初めて見た・・。』
(その、冴えない女って・・・・私なんじゃないの?)
 思った瞬間、茉莉はベットから起き上がって、ジッとしてられなくなってしまったほどだった。
 部屋の中でウロウロ歩き回り、再びメイド達が言っていた言葉を思い出していた。
『“冴えない女”ってどんな女なのよ。』
『奥様と、正反対ってな感じの女だったわよ。・・・その人を見る歩さんの瞳がさあ・・。』
『なになに・・?。』
『私が見たことのないくらいに、とろけそうなくらいな顔をしてたんだから。』
『へぇー!』
『道理で、私達には声がかからない訳なんだ。』
『一人で満足できんだね。あの人・・。』
『その女が本命だからなんじゃないの?』
『意外意外。』
『鬼畜じゃなかったんだあ・・。』

 鬼畜じゃなかった・・。
 この言葉が、頭の中でグルグル回る。
(あの子たちに声をかけてないなんて・・。)
 メイドを抱かなくなっていた彼は、真理だけを愛している?
 ずっと茉莉は歩がいまだに、たくさんの女性と関係を持っていると思いこんでいたのだ。
 思いこんでいたために、いつの間にか河田邸に足を運んでいたかの“令嬢”の気配が消えているのに、今さらながらに気付いたりする有様だった。
 時期的に、茉莉が真理としてマンションを借りた時期と、合致していたような、そうでもなかったような・・。
(そもそも、あの令嬢。半年くらい前に、財閥系の御曹司と結婚しているんだった・・。)
 心の中でつぶやいて確認する。
 そして、彼女達の話からは、“冴えない女”=真理と逢い出してからは、他の女に手をだしていないらしい状況が、かい間見れて・・・。
 そうなってくると、茉莉の出方も考えなければならない。
 歩が、真理だけを愛しているのなら・・・。
(真理は私。茉莉なのだから・・。)
「・・・・歩さんに問いたださなきゃいけないわ・・。」
 茉莉を相手せずに、真理を愛する歩の行動の意味を。
 こんな関係は、おかしすぎるのだから・・・。
 河田茉莉の時に、すべてを打ち明けた上で、彼に問いただすしかなかった。